判断は執着の一種
仏教では、判断は執着の一種と言われています。『こうあるべきだ』、『きっとこうに違いない』と言う気持ちは、私たちの心を苦しめます。また、過去を引きずることも執着にあたるそうです。
私達が判断し、執着してしまうのは、そういう生き物だからだと思います。なんとなく体調が悪い時は不安になりますが、病院へ行き診断をされると安心するのと同じ。診断をされると原因がわかったり改善することができるため、安心に繋がります。それと同じように、人は物事や他人に対して、『これはそう言うことだ』『この人はこういう人だ』と判断をすることで、対処の材料になり、安心を得ようとする生き物なのではないかと思います。
判断しないためにはどうしたら良いのか
では、判断しない ためには私達はどうしたら良いのでしょうか。著書には、まずは心の状態を理解するところから練習をすることを勧めています。
判断している自分を冷静に分析をして、その原因を突き止めることで、『それに何の意味があるのだ』と思うことができ、執着していたことがあまり意味のないものだと言うことが分かるのです。
そしてそれを客観視していくことで、さまざまな事象と同じように、ただそれが実際に起きて、それに対して私たちが感情や考えを付け加えていることに気付くことができます。
判断・執着してしまう時の対処法
また判断してしまう時の対処法として、ぐりさん(id:greengym)が紹介されている方法は画期的だと思いました。
判断をしてしまったら、それに気付いて『まぁ、判断に過ぎないんだけどね』とクッションを置くことで、判断や執着にブレーキをかけられる。私はこの言葉を思い出すたびに、人の愚痴や思考に囚われにくくなりました。
ぐりさんは、主に人間関係、メンタルコントロールなど、社会生活に活用できる知恵を発信されているブロガーさん。ブログの内容はとても勉強になるうえ、ぐりさんの表現方法や解釈が楽しく、ぐりさんは学びとエンターテインメントを兼ね揃えたブロガーさんだと思っています。私は何年か前に著書を読んでいたのですが、ぐりさんのブログを読み、ようやく著者の言っていることが理解できました。
この本を読んで
本書を読み、さまざまな思考が判断・執着に由来していることを理解することができました。そして日常生活の中で判断をしている自分や他人を客観視することで、『あ、判断してる』と言う気付きを得られるようになりました。今後は感情が揺れ動かされたその時に、その感情を客観視して、対処できるようになりたいと思います。
またこの本を読んで一番印象的だったのは、『過去の後悔も執着だ』と言うことです。思い出したくない過去に対し、『否定的判断をしない』と言う力が見に付けば、過去が気にならないようになって、もしかしたら距離を置いたに対しても、笑顔で会えるようになるのではないかと思いました。
嫌な過去があっても、それと同じくらい、もしくはそれ以上に良いこともあったであろうに、嫌だと判断したことばかりに引きずられるのは苦しいことだと感じましたし、いつかは過去を客観視して判断しないようになりたいと思うことができました。
参考にさせていただいたブログ・本
・ぐりさんのブログ
・反応しない練習(草薙龍瞬さん著)