2010年の夏に、マンションで2人の幼い子どもが亡くなりました。母親が子ども達を50日間マンションで放置したためです。このブログでは、2人の子どもの死に至るまでを考察し、どのようにしたら同じことを繰り返さないようにできるかを考えたいです。
母親である芽衣さん(仮名)は子ども時代に、母親からネグレクトなどを受けました。そして 父に引き取られた後は感情を受け止められずに育ちました。そして芽衣さんは中学時代に非行に走り、誘拐窃盗事件をおこして少年院にまで入所します。しかし高校時代に出逢った人の存在で、芽衣さんは非行をやめ、就職先で知り合った人とすぐに子どもを授かり、結婚しました。しかし芽衣さんの浮気や問題行動が原因で離婚。今回は離婚が決定してからの様子について知っていきたいと思います。
参考にしているのは杉山春さんの書かれた『ルポ虐待 -大阪二児置き去り死事件』と言う本です。※この本は多くの人の証言を参考にしており、事実ではない部分が混ざっている可能性もあります。
子ども達の事が配慮されなかった離婚
離婚の話が決まった後で、子ども達をどうするかと言う話になりましたが、『子ども達を母親から引き離すことはできない』と言う理由で芽衣さんが育てることになりました。芽衣さんは自分では育てることができないと主張していましたし、離婚届を出した後子ども達を置いて家から逃げ出しました。芽衣さんは芽衣さんなりに、決定事項に対して拒否をする気持ちを表明していたのですが、それでも夫や芽衣さんの父は芽衣さんに子ども達を押しつけるように関わりました。
しかし、夫からは子ども達の養育費は一切払われませんでした。シングルマザーで借金を背負っている母親、しかもまともに働いたことのない女性が、2児の幼い子ども育てながら働く大変さを想像し、サポートしようと言う考えを言う人はいませんでした。困難になると子どもを置いて出て行ってしまう芽衣さんが、子ども2人を逃げずに育てることができないのではないか、考えることは誰もできなかったのだと思います。
浮気をして裏切った罰として、芽衣さんに子どもを押しつけている、そんな風にも感じてしまいました。しかしここでの最大の問題点は、大人の都合で物事が決定されていったことです。芽衣さんは許せないにしろ、未来を担っている大切な子ども達が最も良い環境で育つためにはどうしたら良いか、と言う視点で誰かが意見し、決定事項を変えることができれば、子ども達は今元気に生きていたのかもしれません。
芽衣さんの心情
芽衣さんは、早く結婚したかったからではなく『早く母親になりたかったから』妊娠しました。そして、産まれたわが子を抱いている時、『私が何かに抱かれている感じがした』と言う発言をしています。これに対して、臨床心理を専攻する西澤さんは、『芽衣さんは、自分が持つことができなかった立派な母親になり、娘を育てることで愛情に恵まれなかった自分自身を育てようとした』と解釈します。
しかし母親になる事を願った芽衣さんは、妻でなくなった時、アイデンティティの基盤を失いました。就労がそれを満たしてくれるように成長していなかった芽衣さんにとって、失ったものを満たしてくれるのは『男性に選ばれる私』と解釈されています。そして離婚後、幼い子ども達が寂しそうにしているのを直視することができず、家から離れてしまうことが増えました。長男の1歳の誕生日、誰からも連絡が来なかった事実を受けてから、芽衣さんの行動が変化し、その1週間後に、離婚してから初めて恋人ができます。それまで芽衣さんは、何とか自分でも子ども達を育てようと芽衣さんなりに必死であったと思いますが、誰からも大切にされない芽衣さん、そして自分と重ねた寂しい子どもを受け入れられず、子ども達の放置がエスカレートしたと考えられます。
離婚後の生活
離婚してから約1年で子ども達は亡くなりましたが、どうしたらそれを防ぐことができたのでしょうか。離婚してから夫からは1回しか電話がありませんでしたが、子どもの親として、もっと子ども達に会って、子どもがすくすくと育っているか見守る必要があったと思います。
芽衣さんは離婚後、高校の下宿先の教員や職場の同僚へ子育てが不安であることを吐き出しています。しかし相談に乗ってもらったからと言って、芽衣さんに現状を変える行動力はありませんでした。誰かが芽衣さんのSOSに気付き、力づくでも芽衣さんと子どもに会いに行って、芽衣さんと子どもたちの事を何とか助けてくれる行動力のある人がいたら、状況は少しでも変えられたと思います。
参考にさせていただいた本
ルポ虐待 -大阪二児置き去り死事件(杉山春さん著)