すごい人研究所

すごい人になるヒントをまとめるブログ

【スポンサーリンク】

少年Aから見た子ども時代はどのようなものだったのか

20年以上前に、神戸で小学生が連続して襲われる事件があり、この事件により、山下彩花さんと土師(はせ)淳くんの尊い命が亡くなりました。その犯人は、当時14歳の少年『A』でした。今回は、Aから見た子ども時代はどのようなものだったのかについて触れたいと思います。

f:id:Megumi_Shida:20211115142951j:plain

f:id:Megumi_Shida:20211115142956j:plain

f:id:Megumi_Shida:20211115143001j:plain

f:id:Megumi_Shida:20211115143005j:plain

f:id:Megumi_Shida:20211115143011j:plain

f:id:Megumi_Shida:20211115143016j:plain

f:id:Megumi_Shida:20211115143021j:plain

f:id:Megumi_Shida:20211115143027j:plain

愛されていると感じていたA

Aは、祖母の愛情を感じ、満たされていたことが想像できます。そしてAにとって祖母は愛着の対象であり、祖母の存在によりAは生きる土台を形成していたのではないかと感じます。愛着については、次の記事で学んでいます。

www.kakkoii-kosodate.info

人は、愛され大切にされる経験で満たされてこそ、同じように人を大切にできるものだと思うので、Aにとって祖母の存在は、Aが心身共に健康に生き、他者を大切にしていく上でかなり大切な存在だったのだと思います。

元少年Aの本『絶歌』には、子ども時代の両親の話は明記されず

Aの著書『絶歌』には、Aの子ども時代の両親との関係について殆ど触れていませんでした(私が見逃しているのかもしれませんが)。印象に残ったのは『僕は親に叱られると、祖母の部屋へ逃げ込み、祖母は事情も聞かずただ黙って僕を抱きしめ庇ってくれた』と言う言葉でした。Aは親に対しては、『自分を叱り、逃げたくなるような存在』だと思っていたと考えられます。その存在が常に身近にいることは、恐怖と隣り合わせの日々だったことが想像できます。

Aは医療少年院を退院後、自身に関する記事や本を読み漁ったそうですが、その時になぜ自分が殺人に至ったのかについて、親の虐待が関係していることについて気付いたのではないかと思います。しかしそれについて記載しないのは、Aの逮捕後苦労した親に対する配慮なのかもしれないですが、臨床心理士矢幡洋さんは『Aが親を否定しない思考があった』と考察しています。

Aが親の事を否定しないのは何故か

矢幡洋さんは自著の中で、被虐待者は虐待者のことを肯定的に捉えることがあると考察しています。

ひとつには、迫害者と犠牲者という関係をめぐる奇妙な心理というものがある。たとえば、父親が横暴であっても、その家庭教育でひどい目にあったはずの子どもが、父親に対する不満の一方で、父親の持つ「力」に対する勝算の気持ちをずっと持ち続ける、ということがしばしば観察される。

犠牲者の微妙なマゾヒズムというものが存在するのである。被虐待者は、迫害者を、巨大で徳ある完全な存在として賞賛し、空想のなかで迫害者と一体になろうとすることすらある。

物心ついた頃から自分を恐怖に晒し、恐怖でコントロールするような存在は、確かに力のある存在だと感じてしまうことは自然な事かもしれません。私が過去に関わった被虐待児も、「お母さんはすごい人なんだ、怒られるのは自分が悪いからなんだ」と言い続けていました。

虐待者(迫害者)に対して賞賛の気持ちを抱き続ける人は、大人になっても権力を振りかざしたり攻撃的な人に屈し賞賛してしまうような思考になるのではないかとも感じ、その人を一生苦しめる場合もあるのではないかと感じます。

むすび

Aの著書からは、祖母の支えにより問題なく生活していたようにも感じましたが、その後Aの人生を大きく変える出来事が待っています。それについては次回以降で学んでいきたいと思います。

矢幡洋さんの『虐待者を賞賛する被虐待者』の話に触れて、虐待は、人の正常な判断をマヒさせてしまうような一面もあり改めて怖いことだと感じました。

参考にさせていただいた本

・絶歌(元少年A著)

・「少年A」この子を産んで‥‥‥悔恨の手記(「少年A」の父母著)

・少年Aの深層心理(矢幡洋さん著)